刀剣乱舞まとめ イメージ画像

刀剣乱舞-O…

とうらぶ人気急上昇!刀剣の歴史に触れてみる

ゲームを通して、刀剣に興味を持ってみた審神者(さにわ)の皆様も多いと思います。
誰によって作られたのか。どんな魅力を持つ刀剣なのか。
詳しくなる事で、ゲームがもっと楽しくなる!

詳細不明

出典twitter.com

三日月宗近

みかづきむねちか

「三日月宗近。打ち除けが多い故、三日月と呼ばれる。よろしくたのむ」

宗近は、10世紀末頃京三条に住したと伝える、日本刀成立初期の名工。
太刀の姿は腰から茎(なかご)にかけて強く反り、先はほとんど反りのない古い形式を示す。刀文に三日月形がみえることから三日月宗近と称され、天下五剣の一つとされた。徳川将軍家伝来。

足利家から、豊臣秀吉に伝わり、秀吉の正室北の政所(高台院・寧子)が所蔵し、その遺物として徳川秀忠に贈られたという。
一時山中鹿之助が佩用したという伝承がある。

打除け(うちのけ)
焼入れの際に刃中に現れる働きの一つ。直調の刃縁の棟側に接するように現れる弧状のごく短い二重風の働きで、大和手掻派等の柾鍛えの作にみられる。国宝に指定されている『三日月宗近』は、この打除けがたなびく雲に浮かび上がる三日月を思わせるところからの号。

三条宗近の作風

小狐丸

こぎつねまる

「大きいけれど小狐丸。いや、冗談ではなく。まして偽物でもありません。私が小! 大きいけれど!」

能の「小鍛冶」に登場する刀。刀匠の三条宗近は勅命により刀を鍛えることになったが、相槌を振るう弟子がいなかった。宗近が稲荷明神へ祈ったところ、稲荷明神の化身の子供が現れて宗近の相槌を務め、素晴らしい刀が鍛えあがり、小狐丸と名づけられた。

他にも菅原道真の祟りで京都に多数の稲妻が降ったときに、宮中に一匹の白狐が現れて授けた刀が小狐丸とする説や、藤原九条家に秘蔵されているとの説や、大和の石上神宮に同名の刀が保管されているという説もある。

こちらは義憲作の小狐丸

古来「小狐丸(こぎつねまる)」と呼ばれる、有名な鎌倉時代の古備前物の太刀です。長さは79.1cm、刀身の柄の中にあたる部分には備前の刀工・義憲が打ったことを表す「義憲作」の銘が刻まれています。

相槌とは・・・
刀を作る時、刀匠2人が交互に槌(つち)で鉄を打ち叩くこと。「相づちを打つ」の語源でもある。

石切丸

いしきりまる

「石切丸という。病気治癒がお望みかな?……おや、参拝者ではないのか」

石切剣箭命神社由来によると、三条小鍛冶宗近の作という。

源義平が15歳の時に叔父である源義賢と戦い勝利しました。
この時に使用した刀が石切丸だと言われています。
現在は石切剣箭神社の神刀とされています。

河内ノ有成作の石切丸

これはね「石切」と申しましてね、河内ノ有成くんが作ったとされています。
ですが、石切剣箭命神社由来によると、三条小鍛治宗近の作といもいわれています。

岩融

いわとおし

「おお。小さすぎて気づかなんだわ。俺は岩融、武蔵坊弁慶の薙刀よ!がはははは!」

岩融は源義経の配下であったといわれる武蔵坊弁慶が持っていたと伝わっている大薙刀です。岩融は薙刀としては別格の大きさで、岩融は刃の部分だけでも一メートルほどだったといわれます。

当時の薙刀の標準的な大きさは刃が80センチほどで、岩融が大きな刃を持ち、剛力といわれた武蔵坊弁慶だからこそ刃が大きく重い岩融を自在に使えたといえるでしょう。岩融ほどの大きさの刃では、常人では扱いきれなかったのではないでしょうか。

作者については,一説によれば伝説的な鍛冶である三条宗近の作との話もある。さすがに武蔵坊弁慶が三条宗近の薙刀を持っているかと問われると少々難しい気もするが,武芸者などと戦って999本もの刀を集めた弁慶が使っていたというのだから,作者は不明でもかなりの業物であったことは間違いないだろう。

今剣

いまのつるぎ

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いまのつるぎ

「ぼくは、今剣!よしつねこうのまもりがたななんですよ!どうだ、すごいでしょう!」

今剣(いまのつるぎ)とは、『義経記』で源義経が自刃に用いたことになっている刃長6寸5分の日本刀(短刀)。

『義経記』では、三条宗近が作り鞍馬寺に奉納したが、鞍馬寺別当の東光坊蓮忍が自分の手元に秘蔵した。それを蓮忍が源義経に与えたとしている。

平安時代の刀工、三条宗近作の短刀。岩融・三日月宗近・石切丸・小狐丸とは兄弟関係と言える。

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